塾報NO.41 2025年9月17日号
「心をこめる」
広く歩きやすい道があるのに、こざかしく知恵を働かせて脇道に入り、早く着いたと喜んでいる。今の世の中そんな「知恵者」が増えているようです。競争社会の原理は、そんな「まっとうでない」ことを正当化してしまう危うさがあります。
わたしたちの生活様式は、まことに大きく変化してきました。スピード感あふれる時代となって、便利きわまる生活を送ることができます。が、このスピード感と利便性の向上が、時として人の心の成長、豊かさにマイナスに働くことがないでしょうか。
ほしいものがあるとき、クリック、発注?ではなく、あちこち足を棒にしてほしいものをさがしもとめることで、思わぬ良品に巡り合うことだってあります。約束の時間に間に合わない時、すぐにスマホを取り出すのではなく、そこで一呼吸おいて、相手に迷惑をかける自分のふがいなさ、時間の重み、大切さをもう一度再認識するべきです。
何かを調べたりするときに「検索」ではなく自分の手でページをめくって考えながら指で追う、という身体を使う過程があるからこそ頭の芯に入っていき長く知識として残る。メールは手っ取り早く便利なものですが、相手の心に何かを伝えるということでは、手紙や対面での生きた会話には遠くおよびません。
道にしたがうとは、ゆっくりと時間をかけて取り組むということ。大事なのは、「日常のなにげない些細なこと、何もないところにも心をこめる」と言うこと。言葉なら「1文字」、平面、空間なら「余白」、所作なら「間」に思いの丈を託すのです。
ショートカットをさがすのではなく、丁寧に心をこめて毎日を積み重ねていきましょう。